神奈川県西部に位置する山北町。
人口は9,878人(2021年5月時点)で、町が発足した1955年(16,689人)と比べると約4割減少している。
なかでも少子高齢化が深刻なのが山間地域の共和地区。89世帯165人が暮らし、人口に占める65才以上の高齢者の割合は5割を超える限界集落だ。
それでも共和の住民は「財産区」という制度を利用しながら、東京電力から3年に1度受け取る「線下補償」を〝自主財源〟として活用。
住民が運転手になってバスを走らせたり、広葉樹を植えて山づくりに取り組んだりと自治活動を活発に展開している。これらの活動を後押しする町外からの若手移住者の姿もある。
しかし、厳しい少子高齢化の状況を踏まえると現状の維持は極めて厳しい。
自治の限界をいかに見極め、山間地の営みを継続していくのか。
神奈川県にある、限界集落の取り組みを探った。
タクシー代わりにもなる福祉バス
「朝起きるのは4時半だな。(運転手の中には)4時に起きて『暴れん坊将軍』見てから来る人もいるよ」
軽妙な口調で語るのは、福祉バス「やまゆり号」運転手の杉本君雄さん(73)。
バスは平日のみの運行で、始発は午前6時32分に山深い「深沢集落」を出る。ここから6キロほど離れたJR山北駅が終点になる。
取材に訪れた6月某日はあいにくの雨で、路線上に倒木が発生。杉本さんが急遽、自宅からチェーンソーを取り出して開通作業に当たった。
幸い、始発の利用者はなく、第2便で地元の中学生と高校生を駅まで送り届けることができた。
午前8時を回ると福祉バス専用の携帯電話が鳴る。
「薬局まで行きたい」「駅までお願いします」
深沢に暮らす2人の女性から連絡が入った。
福祉バスは定時運行に加え、電話予約によるタクシー代わりの役割も果たす。
杉本さんが2号車の運転手と連絡を取り合いながら運行スケジュールを差配する。
杉本さんは再び深沢駅に向かい、先ほど電話予約を受けた2人の女性を乗せた。
そのうちの1人は88才で、週に2、3回は福祉バスを利用するという。
この女性は「お医者さんは1千円取らなくても、タクシーは片道で2千円近く取られちゃう。年金みんなタクシー代に使っちゃうよ。バスがなかったら大変、大変」と細い声で話した。
福祉バスは、年会費2千円を払えば何度でも利用できる。
「財産区」が費用9割支出
福祉バスの導入を呼び掛けたのは、運転手の杉本さん。
杉本さんは、路線バスが走らない共和地区で住民の足を確保しようと、2004年6月に自家用車を「コミュニティカー」として代用して週2日のペースで地元の深沢-山北駅間を走った。その後、福祉バスの必要性を訴えて行政を巻き込んだ議論と試行を進め、ようやく2011年4月に本格運行が始まった。
車両購入費や運転手への手当などの費用は9割が「共和財産区」、残り1割が山北町役場から支払われているという。
財産区とは一体どのよう仕組みなのか?
3年ごとに7千万円
共和地区は町村合併前の旧共和村時代に、村民共有の財産として330haの山林を所有。合併後、その山林から得られる収益を「共和財産区」として運用し、町の特別会計で管理している。
「財産区」は法人格を有した特別地方公共団体の一種で、2015年の日経新聞の記事によると、全国には約4000の財産区が存在しているという。
ヤマモリジャーナルが町に対して行った文書開示請求で得られた資料によると、1974年3月に東京電力が共和財産区の山林内に送電線を通すに当り、土地の使用料(線下補償)を支払う「送電線路架設に関する契約」を締結した。
財産区の会計を預かる町財務課は契約当初の土地使用料を明らかにしなかったが、近年では3年に1度、約7千万円が支払われ、地区内の道路整備や地域の振興活動などに活用されてきた。
この潤沢な財源が、地域の足として欠かせない福祉バスの運行に役立っている。
さらにもう一つ、大きな事業として住民による山づくりがある。
原発事故でシイタケの原木が届かない!
共和の住民が山づくりを始めたきっかけの一つに、2011年の東京電力福島第一原発事故があった。
財産区の財源の使途を決める財産区管理会の杉本一(はじめ)会長(83)が解説する。
「山北町の森林組合は南相馬の森林組合からシイタケの原木を買っていたわけですよ。それが原発事故で入ってこなくなっちゃった。今まで世話になったんだから、こっちでシイタケの原木をつくって持って行ってやろうじゃねえかと。それで始めたんですよ」
作業に当たるのは住民による「共和財産区直営作業班」のメンバーで、2012年度以降、財産区内の山林を切り開き、ドングリから育てたクヌギやコナラの苗木を急峻な斜面に植えていった。作業班には財産区から日当が支払われた。
だが、育林活動は順調には進まなかった。
想像以上にシカの食害に遭ってしまい、その都度シカ柵の補修をしたり苗木を植え直したり。柵がない場所には苗木1本ずつに「ヘキサチューブ」を巻いて保護した。
対策は実を結び、現在は約10haの山林で苗木は少しずつ背丈を伸ばしている。
作業班に若手移住者
財産区内の山林の斜面は急峻だ。高齢化が進む共和地区にあって、斜面を上り下りする作業内容は危険を伴い、体力の消耗も激しい。
そんな中ここ数年、共和の取り組みを知った町外からの若者が移住して作業班に加わるケースが続いている。現在、作業班の実働部隊9人のうち8人が町外出身で、さらにそのうち5人が30代という構成になっている。作業内容は、春先はシカ柵の点検や補修、夏場は苗木の成長を妨げる下草を刈る作業、秋冬は木材の搬出などがある。
作業班に町外からの若者が加わることについて杉本会長は「若い人たちが生きがいを感じて安心して生活できて、ここで子育てができるようにしないと村が終わってしまう。最大限俺たちがどういう協力ができるかを一緒に考えていかないといけねえ」と話す。
俺たちが山づくりの「元年」つくる
また、杉本会長は将来的にはクヌギやコナラを出荷することで「山が金になる姿をつくりたい」とも。
「山が金になるということを理解されるようになれば、みんなが少しずつでも山に関心を持って、山北の山は変わるんじゃないかと。そうすると町は豊かになると思う」
本業は猟師の杉本会長。猟師の視点でも山を見ている。
「今こんなに、人家のそばまでイノシシやシカが来るというのはみんなが山をぶん投げちゃったから。戦後70年でこんな姿になっちゃったんで、これを昔のような、動物に帰ってもらえる山にするには100年かかるだろう。だけど、どっかで元年をつくんねえと100年にいかないんでね。まず俺たちからそれをやろうと」
スギやヒノキといった針葉樹を植えて「木材増産」や「効率化」を声高に叫ぶ国の林業政策とは一線を画す山づくりの思想が、移住者を惹きつけているのかもしれない。
筆者も今年4月から作業班のメンバーに加わり、現在は下草刈りの作業をしている。
先達が苦労して育てた苗木を傷つけないよう、注意を払いながら。
編集後記
筆者は高知県内で10年間、新聞記者をした経験がある。
高知県では2012年度以降、中山間地域対策として県と市町村が支援する形で住民が「集落活動センター」を設立する施策が進められてきた。
住民はこのセンターを「小さな拠点」として活用し、集落維持のために特産品づくりや高齢者の買い物支援などに取り組んでいる。
共和地区の福祉バスや山づくりといった取り組みは、この集落活動センターの姿とも重なるが、その人的、財政的支援体制は、山北町の場合は住民自治の力に委ねられている部分が大きいと感じる。それは「財産区」という特別地方公共団体を挟むがゆえに、行政の手が届きづらい側面があるのかもしれない。
だが、自治の限界は否応なく近づいている。
例えば、今春には福祉バスの運転手1人が他界し、さらに1人が重病を患ったため一時期、運転手不足に陥った。
担い手不足が深刻さを増す財産区の将来像をどのように描くのか。
行政を巻き込んだ透明性の高い、丁寧な議論が欠かせない。
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