多くの人に支えられ
だが、山の外では1人ではなかった。
若藤の人々に支えられた。
なかでもマモルおんちゃん(79才)には感謝してもしきれない。
マモルおんちゃんは前述のTさんと共に山の下の田んぼを管理しているため、ほぼ毎日、姿を現わした。
困っていることを相談すると適切なアドバイスをくれ、時には作業を手伝ってもくれた。
施業地の山の上には高圧線が通っている。このときもマモルおんちゃんは「危ないけん、四国電力に相談しとき」と助言してくれた。
四国電力に連絡すると四電工の下請け業者の田中林業さんが早速駆けつけてくれ、4人がかりで次々に電線付近の木を切り倒してくれた。田中林業さんにも感謝である。
お世話になった人はこれだけではない。
Tさんは言わずと知れた焚き火好き。田んぼの畦道にはみ出してしまった伐採後の竹や木の焼却を手伝ってくれ、時には食料を分けてくれることもあった。
運び出したを丸太を一時保管する「土場」を提供してくれたのは当時の若藤の区長さん(72才)。
区長さんはこよなく日本酒(にっぽんしゅ)を愛する酒豪で、自宅横に自ら建てたログハウスでの飲み会にたびたび誘っていただいた。研修期間中に何升の日本酒を飲ませてもらったか記憶にない。
顔を合わす度に「毎日頑張りゆうねぇ」と声を掛けてくれたYさん(75才)にはイノシシ肉やシカ肉を分けてもらった。他にもたくさんの人に支えてもらった。
気になる収益は…
伐採・搬出作業は2020年12月まで続いた。
搬出した木材は高知県森林組合連合会「幡多木材共販所」で市に掛けてもらい販売した。
総搬出材積は約54立米(上の写真のトラックで6車分)、総売り上げは約51万4千円。
この売り上げから重機のレンタル代、市場までの運送料、市場での手数料、Mさんへのお支払いなどを引き算すると、収益は約ー1万1千円になった。
当然、自分の日当はゼロの計算。
だが、この事業には一つのあやがある。
高知県では、木を間引く「間伐」をするための作業道を山に付ける際、道の長さや幅に応じた補助金が出る。
今回の山は皆伐だが、道を入れる際に隣接する山林を間伐するための作業道を同時に入れた。その長さは約120メートルで12万円の補助金が得られたのだ。
この補助金を含めると、トータルの収益は10万8819円となった。(燃料代などの消耗品費は未算入)
「仕事」ではなく「研修」だったから成り立った内容だろう。
山を相手に仕事をしている人の苦労とたくましさが身にしみる。
見えてきた課題
「自伐型林業」という林業のスタイルを知ったのは2012年のことだった。そのころからずっと興味を抱き、四万十市のMさんを頼ってその一端を見ることができた。
このような機会を与えてくれたMさんには大変感謝している。
林業は素晴らしい仕事である。自然の中に身を投じて、40年、50年、それ以上を生きてきた木々を切り倒し収穫する。
危険を伴い体力も使うが、自然への畏敬の念を抱きながら新鮮な空気を吸い、体を動かして困難を乗り越えていくことで生きていく上でのたくましさを得られる気がする。
それらを気づかせてくれた「自伐型林業」の魅力はやはりあると思う。
だが、見えてきた課題もある。
これは四万十市内特有の現象かもしれないが、死亡災害のリスクが高い林業においてあまりにも1人作業が多いということだ。
現在の木材価格で2人分の日当を稼ぎ出すのはかなりハードルが高いが、「自伐型林業」を全国的に普及、展開しているNPO法人「自伐型林業推進協会」には、普及後の組織化の支援と継続的な人材育成が求められる。また、行政の理解とサポートが欠かせない。
「自伐型林業」の組織化ができなければ、林業を請け負う個人事業主が増えるだけで施業地確保を巡ってはギスギスした雰囲気が地域に漂ってしまいかねない。さらに「個」の力ではできる作業に限界がある。
「林業はそんなに甘くない」と言われればそれまでだが、「自伐型林業」を「地方創生の鍵」(自伐協HPより)として「普及」「推進」するのであれば避けては通れない道だろう。
最後に
片付けを含めるとおよそ1年間を費やした山の風景はこうなった。
今後、山主のIさんがクヌギやコナラを植えて行く予定だ。
どのような山になるだろうか。
それは、5年後、10年後のお楽しみ。
※年齢は2021年3月時点
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