司馬遼太郎(1923~1996年)は著書「土地と日本人」(1980年発行)の中で、「土地公有化論」を展開し、5人の識者と対談を繰り広げている。
同書が発行された時代は、高度経済成長や田中角栄が唱えた「日本列島改造論」を受けて地価が高騰。土地は投機の格好の対象になっていた。
司馬は、松下幸之助との対談のなかで「産業家というのは、本来ものをつくって売って利潤を得るだけでいい。これが大原則であるべきで、土地でもうけてはいけない」と主張する。そして「水とか空気とかが公有なように、土地も公有であるべき」という持論を展開する。
これに対して松下も「私有制を認めても、土地の本質は公有物であるという意識に立たんといかん。(中略)いろいろな物資はあるけれども、事、土地に関しては私有物、私有財産と言えども、これは国の預かりものである。だから使うべき人が使うものである、という考えを持たさなければいかん。そういう認識、良識そういうものを一方で涵養(かんよう)せないかんと思うんです」と呼応する。
時代は変わり「所有者不明土地」が問題に
その後バブルが崩壊した現在の日本では人口減少と少子高齢化のあおりを受けて「所有者不明土地」なる問題が発生している。
「所有者不明土地」問題は国土の7割を占める森林にも深刻な影響を及ぼしている。「所有者不明土地問題研究会」(増田寛也座長)は、日本の所有者不明土地の広さを410万㏊と推計し、九州を上回る面積があると指摘した。 その内訳は林地が25・7%と最も多く、農地18・5%宅地14・0%と続く。
戦後の木材需要の拡大から、日本の森林には国策としてスギやヒノキといった成長が早い針葉樹が所狭しと植えられた。その後の木材価格の下落によって森林は資産価値を失い、山主は所有林への関心を薄めていった。
そして今では放置されたスギとヒノキの山は花粉をまき散らし、疎まれる存在になってしまった。
しかし近年、設備投資を抑えた林業の形である「自伐型林業」というスタイルが全国的に広がりつつある。
そして若者の地方回帰の流れも相まって、都市部から地方に移住して「自伐型林業」を実践する人々が少なからず存在している。
移住者の彼らにとって一つのハードルになるのが、施業地の確保だ。山は目の前に漠然と存在しているのに、所有者が分からない、あるいは境界が画定されていないなどの問題が立ちはだかる。
土地の公共性
司馬が「土地と日本人」を書いたのは地価高騰の時代であったが、地価も木材価格も下落した現代においてもなお、「水とか空気とかが公有なように、土地も公有であるべき」との指摘は生き続けるだろう。
筆者は土地公有化まで主張するつもりはないが、土地は公共的(パブリック)なものだという認識は必要だと考える。そして、土地の「所有権絶対主義」的な考えを改めていくことが今後、日本の森林の活用に欠かせないのではないかと思案している。
司馬は松下との対談をこんな言葉で締めくくっている。
「土地は公有だという合意が原則だけでも成立しない限り、土地の上に成立している政治あるいは人文などの諸現象の生理は土地の病気をそのまま受けますから、異常が異常を重ねてゆくのではないでしょうか。まあ、崩れるところまで崩れきるのを待たなければしようがないということもあるかもしれませんが」
(敬称略)
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