恒(つね)に続く林と書いて「恒続林(こうぞくりん)」。
今から約100年前の1922年にドイツの林学者アルフレート・メーラーが、著書の「恒続林思想」で提唱した、山づくりの考え方だ。
この本は1984年に日本語訳が出版されたが、今ではなかなか手に入らない。
筆者も神保町の古本屋を歩き回ったが見つけられず、「日本の古本屋」というサイトを通じてようやく手に入れることができた。
日本の林業政策の主軸は「恒続林思想」が否定した「法正林思想」という考え方に基づいている。
「法正林思想」も明治期にドイツから輸入された考え方なのだが、ドイツではすでにこの思想は否定され、メーラーが提唱した「恒続林思想」が取り入れられているという。
生物多様性、持続可能な社会、SDGsなどの考え方が重要視される昨今、筆者は日本の林業政策も「恒続林」の方向へ変えていく必要があると感じている。
メーラーの著書を紐解きながら「恒続林思想」とは何なのかを考える。
皆伐と植林を繰り返すのが「法正林」
まず、「法正林」とはどのような考えなのか。
例えば、50haの山があったとする。その山に毎年1haずつスギやヒノキを植林し、50年後に毎年1haずつ皆伐(木を全て切る)して木を収穫。伐採後にまた植林を行うことで「50年生」の樹木を永続的に収穫できるという考え。(下のイラスト参照)
戦後日本の林業政策は、スギやヒノキといった成長の早い針葉樹を全国各地の山々に植えていった。そして樹木はいわゆる「伐期」を迎えたが、木材価格の低迷などにより手つかずになった山は少なくなく、花粉症の発生源として捨て置かれているという惨状だ。
「森林は一個の生命体」
これに対して「恒続林」は、単一樹種を山に植えて皆伐する「法正林」を否定する。
それはなぜか。
メーラーは「森林は一個の生命体(有機体)」と位置づける。
そして森林には、「猪、穴熊、狐、兎から始まって(中略)動物学者しか名前と生活史とを知らない微小動物にいたるまで、これらすべてが林地に生息している」のであって、これらの「森林有機体」は「複雑きわまる関係に立っている」ため、外部からの干渉は「われわれに熟慮を要求し、注意を喚起する」と指摘する。
また、土壌について「土地は(中略)森林から独立したものではなく、森林有機体の一つの器官であって、林木の生長を規定するとともに、森林有機体によって影響され変化せしめられるものである」として、針葉樹だけの単純林の造成と皆伐では健全な土壌が育まれず「地力」を損なうと危険視する。以下引用すると、
「自然状態では、雑多な植物が沢山存在している場所に、アカマツまたはトウヒという単一樹種を一方的に植栽したことは、われわれの施業をまったく駄目にしてしまう害虫を繁殖させた。あらゆる他の樹種を締め出して、単純林を造成することは、われわれが見もし知っているように、土壌に対して、マクロな地床植生に対して、また、われわれが確実に推察できるように、ミクロの地床植生に対しても、とき折り一定の方法で影響を与える」(p.58)
「暑熱と寒冷、湿潤と乾燥との両極端が除かれれば除かれるほど、直射光・乾燥風が避けられれば避けられるほど、常に枝葉の落下と歩調を合わせる分解作用が良くなり、腐植状態が良くなり、そして「地力」が向上する。しかし、腐植質の好適な分解関係のためのこれらすべての条件は、恒続的森林有機体のみが提供できるのであり、森林有機体恒続を図る施業のみが、創造し、維持することができるのである」(p.63)
近年の豪雨による土砂災害の発生もこの「地力」の衰えから来ているのかもしれない。
「恒続林」の条件とは?
ではメーラーが言う「恒続林」とはどのようなものなのか。
恒続林は、針葉樹や広葉樹といったあらゆる樹種が入り交じる「混交した森林」を要求する。その施業方法は、木を間引く間伐を行って木材を収穫し、時には人工植栽も行う。
そして「皆伐は最大の悪事である」と位置づける。
また、前提条件として
(1)作業担当者の愛林精神
(2)造林上の諸問題に関する、良好な予備教育と実際的経験
(3)作業担当者が、他の業務に邪魔されず、全面的に森林保育に従事できる可能性
を挙げる。
(1)で挙げられた森林に対する「愛」は林業従事者の努力で補われる部分が多いと思われるが、(2)と(3)については林業従事者だけでの達成は難しいのではないだろうか。
日本の森林は長く「法正林」思想によって形づくられてきた。この施業法を一旦否定し、「恒続林施業」に切り替えた上で、木材の安定的な収穫に至るには相当な年月が必要になってくる。
つまり、公の理解と支援、さらに潤沢な「資金」が必要になる。
奇しくも、2019年には「森林環境譲与税」がスタートし、将来的には全国の自治体に総額600億円もの税金が毎年振り分けられる。
この新税を原資とした各自治体の工夫があれば「恒続林」を担う人材育成の可能性は広がるように感じる。
生物多様性と木材生産を両立
以上、見てきたように、単一樹種の植林と皆伐を繰り返す「法正林」は、森林に突然の変化をもたらしてそこに住む生物と土壌に大きな影響を与えるため、生物多様性やSDGsなどの観点からも好ましくないことが分かる。そもそも、単一樹種しか植林しないという時点で多様性に欠けている。
独立行政法人「森林総合研究所」も「スギ林が増えると昆虫の多様性は減るか?」というレポートで「広大なスギの単純林は、生物多様性にとって、やはりマイナスなのです。多くの生物の避難場所として、多様な植物がある広葉樹林を確保することの意味がここにあります」という報告をしている。
さらに、メーラーは「恒続林施業が、皆伐作業よりも、保続的に、より多量より有価値の木材を生産することは、先進的に証明され得るし、また証明される」と述べ、恒続林は生物多様性と安定的な木材生産が両立できるとしている。
ドイツの森林面積は日本の半分にもかかわらず、木材生産量は日本の2倍以上という数字もその証左かもしれない。
決して楽な「道」ではない
ただ、「恒続林への転換を」と言葉にするのはたやすいが、実行はそう簡単なものではない。
メーラーはこうも記している。
「皆伐作業は、広くて平坦で気持ちの良い道であり、この道を散策する者は多い。恒続林施業は狭くて石ころのある、険しい荊棘(いばら)の小径(こみち)であって、この径で苦労する者は少ない」(p.113)
さらに、皆伐を否定し、恒続林の優位性を主張するための心構えと能力を得るのに「25年以上を経過しなければならなかった」とも述懐している。
単年度ごとの木材生産量を気にする日本の林野行政の理解を得るには25年もの歳月は長すぎるかもしれない。
だが、悲観してもいられない。
「恒続林思想」には勇気づけられる言葉がちりばめられている。その一部を紹介する。
「君の仕事はむずかしいが、しかし限りなく貴いのだ。君の仕事の経済的効果は、君がよく考え、よく注意すればするほど高められる。(中略)なぜならば、その時に最も美しい森林は、また最も収穫多き森林であり、かつ森林芸術を最高の完成性に導く者は、森林美学的要求にも経済的要求にも、同様に良く合致し、両者の調整をおのずから成し遂げることが、確認されるからである」(p.171)
「人間にとって、真理への努力と苦闘とは、素晴らしい真理そのものよりも、幸多く貴いものである」(p.73)
「林業マンの業務は、半ば科学、半ば芸術なのであって、この場合、実行だけが名人を作るのである」(コッター)(p.114)
日本にも「恒続林」的な施業で森林を経営している人はいる。
2019年夏に訪れた徳島県の橋本光治さんの山はまさにそれで、とても美しかった。
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ドイツが「法正林思想」を否定し、「恒続林思想」を取り入れた経緯については「国民森林会議」が2020年11月に出した「林野庁は『法正林思想』に立ち返ってよいのか」でも触れられている。
森林ジャーナリストの田中淳夫さんも、僕が記者をしていたころの取材で話してくれた。
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