神奈川県北西部。
横浜市や川崎市などの都市部に水道水を供給する「水源地」とされる森林が広がる。林業従事者がこの地域で森林整備を行う際に活用する県の補助金の一つに「水源の森林づくり事業」(協力協約推進事業)というメニューがある。命名こそ美しいが、これが柔軟性に欠けた杓子定規な制度設計で、小規模・副業型の林業の担い手に負担を強いる状況が続いている。
その背景には、林業従事者の置かれた状況に目を向けずに制度を運用する神奈川県の森林行政の不甲斐なさがある。
小規模・副業型の林業従事者に配慮を欠いた「水源の森林づくり事業」(協力協約推進事業)に改善の余地はあるのか。町面積の9割が森林に覆われている山北町の事例を参考にしながら、考えた。
ダブルスタンダード
神奈川県の林業関係の補助メニューはさまざまあるが、今回は林業従事者が「水源地」の森林整備を行う際に選択するであろう「協力協約推進事業」と、もう一つの「造林補助事業」(国庫補助)という制度を比較しながら考察していく。
まずは「協力協約推進事業」の場合。(上掲のチャート図参照)
同事業の財源措置は県が行うが、実際の事務手続きは市町村が窓口となる。
例えば令和5年度に森林整備を行う際、前もってその事業規模を令和4年の6月末ごろまでに市町村に報告する。
市町村は、約1年後となる令和5年6月10日までに「年度計画」を県に提出。その後県から事業の承認を得た上で、事業者から補助金の申請を受け付ける。山北町の場合、申請受け付けの時期は「目安として10月中旬以降」(町農林課)となり、森林整備を始められるのはそれ以降になるという。
「林業」という仕事は全産業の中で最も労災発生率が高い。さらに天候や機械の故障なども考慮すると、安全に作業を進めるには工期に余裕を持つのが肝要だが、この補助制度を活用すると、令和5年度のうち実際に山で作業ができるのは10月中旬以降~3月までの5か月弱程度に限定されてしまう。
その理由は、県の補助金交付規則では補助金の交付決定前の事業着手はできないとされているためのようだ。
一方の「造林補助事業」。(上掲のチャート図参照)
令和5年度に補助金を受ける際、事業規模を令和4年の7月中に県に申請する。
事業着手の時期に特段の規制はなく、事業完了後、令和6年2月末までに補助金の交付申請をすれば補助金を受け取ることができる。
つまり補助金の「事後申請」方式で、交付決定前の事業着手が認められ、林業の現場の状況に合わせた制度になっている。
この点、県と市町村との間の事務作業に時間を要し、交付決定前の事前着手を認めない「協力協約」の間でダブルスタンダードとも言える状況が続いているのだ。
大型機械を購入でき、多くの従業員を雇える事業体であれば「協力協約」を活用して5か月弱の期間で山に作業道を入れ、木々を間伐・搬出することはできるかもしれないが、森林所有者などが小規模・副業的に森林整備を行う場合には相当な負荷を強いる補助制度になっている。
札束で頬を張る?
「ならば『造林補助』を使えばいい」という声も聞こえそうだが、「協力協約」はその補助額が恵まれている。
例えば1haの山に300メートルの作業道を入れて2割間伐を行った際の「造林補助」と「協力協約」の補助額。県水源環境保全課に問い合わせたところ
(造林補助事業)
※R4標準単価による(R5の標準単価は後日設定予定)
・間伐 約18万円(集材経費を含む)
・作業路 約43万円(協力協約推進事業)
※R5標準単価による
・間伐 約21万円(集材経費を含みません)
・作業路 約92万円
になるという。(金額は概算)
注目すべきは「作業路」の金額。「協力協約」は「造林補助」に比べると2倍以上の補助金を受けることができる。
繰り返すが、林業は全産業の中で最も労災発生率が高い。なのに労働者の賃金は全産業と比べると低いのが現状だ。
低賃金の背景には木材価格の低迷などのさまざまな要因が上げられるが、林業従事者の所得向上には補助金の活用が欠かせない。
そうなると必然的に有利な補助金を活用したくなるが、「協力協約」の補助制度の現状は「工期は短いけど、その分、金は多くやる」と札束で林業従事者の頬を張るシステムになっている。
また、どちらの補助制度を活用しようとも、林業従事者が行う「森林整備」という行為は変わらないにもかかわらず、二重の基準が設定されている。
この現状を神奈川県の森林行政はどう捉えているのだろうか?
責任なすり付け
「造林補助」と「協力協約」のダブルスタンダードの状況を県水源環境保全課に質すと、このような回答を得た。
「造林補助」は昭和30年代から始まった古い制度で、当時は零細な森林所有者が多くいた。天候などで作業計画が変更になることがあるため、補助金の事後申請を認めた。
「協力協約」は県民、県、市町村などが一体となった取り組みを推進しようと、平成9年からスタートした。森林所有者に最も身近な市町村が「協力協約」を締結して森林整備をする。県の補助金交付規則では交付決定前の事業着手は認められていない。「造林補助」はイレギュラーなやり方。
また、森林整備の事業着手を「10月中旬以降」まで待たなければならない点について「遅すぎる」と伝えると
「『県協力協約推進事業実施要綱』には県と市町村とのやり取りは記載されているが、対森林所有者、対事業者に関する決めごとは書かれていない。町に相談してほしい」との回答。
一方の山北町農林課は「県の補助金交付規則で事前着手は認められていない。(意見があるなら)県に言ってください」といった対応で、県と町が責任をなすり付け合う、お役所仕事を堂々とやってのける。
〝令和版〟に改定を
行政の肩を持つわけではないが、「造林補助」と「協力協約」のダブルスタンダードが生まれた背景には、制度がつくられた当時の社会情勢があるようだ。
県水源環境保全課の説明では、「造林補助」がつくられたのは昭和30年代。当時は山村も賑やかで、自分の山を自分で管理しようとする森林所有者も多くいたはずだ。役所の事務作業を優先させるよりも、森林所有者の置かれた状況に合わせて柔軟に対応できるよう制度設計されている。
一方の「協力協約」は平成9年にスタート。昭和30年代とは異なり、家庭燃料は薪からガスに代わり、木材価格の下落も始まっていた。森林整備は森林所有者の手から離れ、森林組合や伐採業者が大規模に行うようになっていった。「協力協約」はこういった規模の大きい事業体を想定した補助メニューと言える。
だが、ここ10年の山村の動向を見ていると、戦後に植えられたスギやヒノキなどの人工林を小規模・副業的に間伐して副収入を得ようとする人々が出現している。
山間地域では「地域おこし協力隊」の制度を利用していわゆる「自伐型林業」の担い手育成に取り組む自治体もある。
また、神奈川県の西部地域でも小規模・副業的な林業を取り入れようとする動きがある。県の森林行政もそろそろ、そういった林業の担い手に配慮した〝令和版〟の制度を構築していい時ではないか?
その第一歩として「県協力協約推進事業実施要綱」に、補助金の交付決定前の事前着手を認める規定を設けることはできないだろうか。
県側からは「窓口は市町村」という責任逃れの声が聞こえてきそうだが、郡部の市町村に制度改正を促す余力はなさそうだ。
例えば、町面積の9割が森林という山北町でさえ、林業の専任職員は配置できず、兼務で仕事を進めているという。
小規模・副業型の林業の担い手を切り捨てるような森林行政が続くのであれば、人口減少が止まらない神奈川県の山間地域では「いのち輝けない、同極同士が反発し合うマグネット神奈川」になってしまいそうだ。
「いのち輝くマグネット神奈川」を掲げる黒岩祐治知事は、どうする?
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